JSP見ました。感想です。

18 12月

こんばんは。宮本です。
先週の日曜に、ジャグリングストーリープロジェクト(以下JSP)の舞台を見に行きました!ピントクルの山下と中西もそれぞれ演出と出演と大きく関わっていたものの、私は特にそういうことはなかったので、せっかくですので感想を書いていこうとおもいます。


すごかった

まずはじめに、クオリティの高いルーチンや感性に響く演出に溢れていて、非常に面白かったです。
今回の舞台の特徴として、メンバーの出身や所属がバラバラというものがあり、そのため演者や裏方の技術が高いということです。

個々の演者のジャグリングは道具のバラエティも豊かで、それぞれで非常に技術のレベルが高く、なんとも贅沢なパフォーマンスでした。裏方に関しても、大道具で階段を用意できるのがすごいですし、パネルや木など複数用意してくるというのもすごい。舞台では見えない進行や制作の部分まではあくまで雰囲気ででの話ですが、異なる所属のメンバーで作品を作ったということがすごいですし、また今後JSPに出演してみたい!と思った人も多いのではないでしょうか。


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さて、すごかったという感想につきましてはすでに各所で感じ、また書かれてると思いますし、ここでストーリーについて今回思ったことについて述べてみます。
まず第一に、ジャグリングの舞台におけるストーリーの存在、すなわちストーリー形式とはなにか、ということです。

ストーリー形式とは

ジャグリングを見せるには

このことについて考えるには、まずジャグリングを見せる(パフォーマンスする)ことについて考えなければいけません。といってもそんなに大げさに考えるわけではありません。
ジャグリングを見せるための形式にも様々なものがあり、一番最初にあるのが「すごい技をして、それができない人(主に一般人)が驚く」というスタイルだと思います。これを満たすのは、個人が勝手に知人友人に見せたり、時には大道芸として仕事にしたり、少なくとも日本では、だいたいの人が普通に認識している通りだと思います。さて、そのような状態が続いて、ジャグリング人口が増え、各高校や大学などでサークルなどが生まれて、人が増えればパフォーマンスの規模が大きくなっていくのは自然の道理です。

空間は借りるしかない

一方、現在の日本において、複数人のメンバーが集まり多数の観客にジャグリングを披露したい場合、適切なサイズの空間があまり存在しないのです。
そのためには、ジャグリングのためではなく、それ以外のもともとあった要請の元に作られた箱が必要で、例えば屋内のホール、野外ステージ、小劇場などであるということです。

空間に対する認識

しかし、作品という形式にすると、ルーチンの発表会みたいにただ羅列をしてしまうと「あじけないなあ」という感覚が現れると思います。

これはおそらく人間の、作品に対する空間の認識によるものでしょう。舞台がそういう文脈のために用意された空間のためではないか、と私は思います。(言い換えれば、こういう舞台では演劇などを見る場所だと我々が認識しているからです)

(コンテストや大会という形式はあまりこういう問題は起きません。芸術的な面を競うわけでは無ければ、基本的には空間を考慮はされないのではないでしょうか。)

空間に対する違和感に対しての解決策として、ストーリー形式があるのではないか

以上の「あじけないな」問題にたいして、一番良く解決ができる方法が、ストーリー形式なのではないでしょうか。

  • ルーチンを並べただけだと味気ないな、という感覚を解決できる

これが一番かと思いますが、パッと思いつくだけでも

  • ストーリーがあることで、作品全体のボリュームがちょうどよくなる
  • ストーリーがあることで前衛的になりすぎず、多くの観客に見せやすい

などの利点があります。


なんだか書くあたりまえ体操みたいな文章になりましたが、以上の考察に基づくと、私にとってのストーリー形式とは、ジャグリングの舞台を見る上での、外部的な要請なわけです。ジャグリングそれ自体ではない、ということです。しかし、それでもこれは非常に面白みのある手法だと感じました。

というのも、今回のJSPでの演出において、私が一番気に入ったところは、エイトリングと花をなぞらえた点です。私自身が具体的にどういいと感じたのか、言語で説明するところまでは辿りつけなかったのですか、ここの部分についてを掘り下げていけば、決してジャグリングをするためにとってつけたものではない、面白いストーリーを作ることができるのではないかと思いました。


 

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今回のJSPのストーリーについて

さて、JSPは非常にクオリティの高い舞台でしたが、ひとつ残念であるところを挙げるとすれば、やはりストーリー自体が観客の満足に至るまで練られていなかったということでしょう。この問題は何が原因かと考えてみます。

ちなみに私は、今回の物語はジャグリング学校が舞台であることをすっかり忘れて見ていたのですが、それでもだいたい何をしているかは分かりましたし、ジャグリングを見る上では特に困りませんでした。演者の順番であるとか、色々かなり良く練られていたと思います。ただ、やはりJSPという名前なのに物語自体が強くないということで、上では”満足に至るまで”は練られていなかった、と書きました。

まず、舞台上でジャグリングをするためだというのをのぞいて、シンプルに物語(つまり脚本)を作るということ自体がこれが結構難しいということ。どんなに小さなものでも、自分で何らかの脚本を書いたという人はどれほどいるでしょうか。
第二に、仮にある程度脚本ができたとしても、ジャグリングを見せることとどう噛み合わせていくか。余計なストーリーはかえって、作品上でジャグリングのパフォーマンスを浮つかせてしまいかねないと思えます。ここはきっと、いままでジャグリングの舞台を作ってきた人が皆、常に悩んでいたことではないかと思います。
今回のJSPでは、演出という役職はありましたが脚本はありませんでした。(本人に聞いた所、演出が脚本も兼ねたらしい)。まずはここを、脚本を書く人を別に用意することが最初の糸口と思います。

ストーリー作りが難しい問題で、そしてだからこそ、今後のJSPにおいては、脚本の技術の蓄積が求められるということではないでしょうか。



さて、長々と書きましたが、以上をまとめると、

  • すごかった
  • エイトリングのとこがよかった
  • 脚本が大事になってきそうだなと思った

くらいで、このまま書いてしまうと、小学生並みの感想文になってしまうので以上のような考察もついでに書いてしまったということです。